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どですかでんの「横浜小銀幕」

今はココにおりますです。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-01-19 『25時』
2003-09-25 アホ映画で笑い抜けろ!『有話好好説(キープ・クール)』
2003-06-02 ボウリング・フォー・コロンバイン
2003-05-30 過去のない男
2002-10-03 たまには、日記
2002-08-14 ノーマンズ・ランド
2001-11-28 千と昌夫の金隠し
2001-08-17 昭和56年生まれが56年前のことにとやかく言うのは野暮ってもんだけどね。『軍旗はためく下に』
2001-08-16 一個都不能少(あの子を探して)
2001-08-16 気を取り直して、『17歳のカルテ』


2004-01-19 『25時』


忙しくてネットにかじりつく暇もなく過ごしており、ましてや映画もあまり見ていない…この間『007』をから時系列で追ったのがやっとで…
閑話休題。
先々月観たんですが、上映中なのでオススメします。ちなみに恵比寿です。
ニューヨークを闊歩する男。今まで、自由に生きてきた。そして、ニューヨークで生き、そしてニューヨークの町を見てきた。男の名はモンティ。自由に見える彼だが、彼の自由は後1日。明日の朝には刑務所入りだ。彼の生業であった麻薬のディーラー、その危険な綱渡りの報い、それが明日からの生活だ。刑務所の生活は想像を絶する。生きて出ようとすれば、実に過酷な生活がそこにはある。残りの自由な時間を、男はガールフレンドと2人の旧友と過ごす。
「罪」と「絶望」に苛まれるモンティ。9.11を経て、迷走するニューヨークのダークサイドへの怒りと怨念。そして自分を警察に密告した何者かへの憤り。3人の、絶対であった友情の裏で首をもたげる犯罪者=モンティへの懐疑と忌避。それでも父は罪を犯した息子を受け入れようとするのであった。
はっきり言って、想像力のあまりない僕が観た感想としては、「何が言いたいのかよくわからない」ということに尽きる。テーマと思われるものが乱立していて、どういう視点で観るのが適当なのか、よく判らない。
エドワード・ノートンとバリー・ペッパーの魅力がまずこれでもかと溢れている。ブライアン・コックス。さすがスパイク・リー。
作品の宣伝によく登場するのは「9.11以後のNY」という文句。その混沌の中で物語りは進行する。会社と自分の命運を賭け日々ウォール街で闘うブローカー。クソ真面目で、生徒に色目を使われてタジタジの教師。そしてニューヨークを生きるさまざまな国からやってきた人々。
傷だらけでモンティに拾われた犬・ドイル。いつの間にか飼い慣らされ、飼い主の逮捕にも気づかず友人に貰われる。
といろいろあるが、やはり『JSA』などでも感じたが、「友情」という点で僕は色々考えていた。
「モンティとの関係は今夜限り。出所したら彼とは他人」と言う株式ブローカーのフランク。フランクに言い返せないが、3人の友情を信じる教師ジェイコブ。表向きの「気の置けない」友情とモンティを巡る友人の「取り返しのつかない事」の軋轢、そしてそれでも「罪を黙認した」事への罪の意識を拭い去れない2人。よく「友情」を描いた映画は、友情が築かれたり、崩れたりするという二元的なストーリーが多いように感じるが、この作品は場所が違えどデュアルタイムであることもあり、その中間で悩む友情の形を描いているところが面白い。
その一方で、友情とは違う意味で、息子が「取り返しのつかない事」を犯しても、励まし、守ろうとする父親の姿も描かれている。この辺りは完全にブライアン・コックスにしてやられた感があるが、ガールフレンドとの愛や、マフィアの元締めとの上辺の関係も加え、一人の人間を取り巻く「絆」の形が色々な形で描かれているという点でも、この作品で考えることはありそうだ。
と、色々言ってもエドワード・ノートンがカッコイイという所に落ち着きそうな作品ですが、まだしばらくやってるようなので、興味を持たれた方は是非ご覧になってください。『ミスティック・リバー』と比べるのも(怒られるかもしれないけど)面白い?かも。
25th hour (2003年アメリカ)監督:スパイク・リー 原作・脚本:デイヴィッド・ベニオフ 撮影:ロドリーゴ・ブリエト 音楽:テレンス・ブランチャード
エドワード・ノートン バリー・ペッパー

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2003-09-25 アホ映画で笑い抜けろ!『有話好好説(キープ・クール)』


 古い映画ですみません。久々の更新は、チャン・イーモウの「幸せ3部作(だったっけか)」の前、1997年作品「キープ・クール」。『英雄(みうらじゅん氏によればヒデオと読むらしい)』じゃないところがミソです。
 本日、黄金町シネマベティで観て来ました。就活とか卒論で映画離れしていたので久々。禁煙なのにタバコ臭い、昼間なのに酒臭い。横浜以上に横浜らしい若葉町が誇る文化施設でございます。帰りにはきれいになった「コトブキ」でオムライス喰ってきました。ウマー。
 それはともかく。
 露天で本を売ってるシャオはアンホンにフラれ、それでも彼女を追い回す。アンホンの高層マンションの下で廃品回収の男に大声で彼女を呼び出させたり。アンホンの新しい彼はドロン・劉ことナイトクラブの支配人。シャオがタバコ吸ってたら大ベンツで乗りつけリンチ。シャオが通行人から奪ったPCバッグで殴りつけるも、今度はPCの持ち主チャン(クソマジメSE?)が「弁償しろ!」
 「右手を斬ってやる!」復讐に燃えるシャオとPCを弁償させたいチャン、金で解決とばかりに5万元を持って現れる劉を待つ二人…
 ハッキリ言ってこの映画、アホ映画です。1時間半は長すぎ。劉を待つシーンで客が3人出て行きました。シャオの計画を止めようとするチャンをシャオは「気が狂った叔父」と偽って店の屋根裏に監禁するシーン、その後、女性店員の胸を触ったとかで、その彼氏のコックに酢を掛けられたりして、ブチ切れたチャンが包丁持って暴れるシーンはちょっと不愉快だった。
 反面、シャオ役のチアン・ウェンは『鬼が来た!』のシリアスな演技と、今日本作の前に上映された『紅いコーリャン』ではコーリャン酒蔵のアナーキーな杜氏で、本作では袖を切ったGジャンなんか着ちゃってます。97年だからしょうがないけど、バブリーなモノを常に追い求め、感傷に浸るのが趣味な僕にとって辻仁成ファッションはそれだけでかなりやられました。その他にも、シャオがアンホンを呼ぶために色々と連れて来る職業がよく解らない労働者とのオバカなやり取りは、あ〜北京にこういう人居るよね、と、また北京に行きたくなってしまった。
 また、唯一ではないけど、まあ素晴らしいなと感じたのが、本作の登場人物を講談風に解説するナレーション。北京の胡同の芸能を思い出しました。
 意図的にやってんのか本気なのか解らないこの映画、アンホンがよくDKNYのシャツを着てたので、頭文字を取ってD級ということで。頭文字Dですな。

有話好好説(1997年中国映画)監督:チャン・イーモウ、原作・脚本:シュー・ピン、撮影:リュイ・ユエ、音楽:ザン・ティエンシュオ、出演:チアン・ウェン、リー・パオティエン

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2003-06-02 ボウリング・フォー・コロンバイン


 結構前に見に行ってたんですが、更新の勢いを停めない為にも一応書き込んでおきましょう…これを見に行ったことを友達に言ったら「マイケルどうだった?」て聞かれました。あれ?ネヴァーランド牧場出てきたっけ???フルネームで言って欲しいものです。「ムーア」って言われても、(・┏┓・)ヴァーこれが頭に浮かびます(阪神のね)。それはともかく…
 現実の一歩前にあるもの、それは誰にとっても得体の知れない恐怖であり、不安である。本作の中では『サウスパーク(僕はビデオは全巻見てます)』調の「アメリカの歴史」のアニメが挿入されている。それによれば、アメリカに着いた移民が、先住民(ネイティヴアメリカン)に対して、また奴隷であったアフリカの黒人に対しての不安が描かれ、またその不安からコルトの銃を持ち、白人は「生活」を守っていく。
 日本には今ではどんどん銃が流入しているとはいえ、市井の庶民が銃を持つことはせいぜい猟友会に入っている位であろう。もともと塀や門はなかった狭い島国の日本で隣人を疑うということはあまりなかったのだろう。疑われれば、消すよりは結局追い出すような感じでコミュニティの均衡を保っていたような気がする。移民ということを考えれば北海道だろうか。しかしながら同じ日本人同士が…というのはあまりないだろう。ただその均衡が崩れてきた今、やはり猟奇的な殺人は増えていると言わざるを得ないだろう。
 最近のイラク戦争においても、やはり「世界の警察官」たるアメリカは、不安に近い感覚で世界の国を「悪」呼ばわりしている。イラクならさしずめ石油に対する不安だろう。
 欧米、特にアメリカは予防医学が発達しているとよく言われる。つまり、病気になる前のことを考えて、そのリスクを減らしていく、というもの(かな?)。だから日本よりも健康への関心というのはとても大きい。夜中の通販の番組でも健康グッズが多いですよね。
 本作を見ながらその理由がよくわかったような気がする。結局、「不安」なのだろう。ガンになるリスク、それ以外にも肥満・生活習慣病になるリスク、そして自分が殺されるリスク。そういうリスクを未然に防ぎたい、その「不安」がアメリカの銃社会を作る一因になっているのではないだろうか。
 「銃で家族を守るんだ、自分の安全は自分で守る、それがなぜいけないのか」ということを作品の中に出てくるアメリカ人は口を揃えて言う。う〜ん。「警察を呼ぶぞ」ってのは日本だけなのかなあ。「通報しますた」ってアメリカでは言わないのかな。ただ、これだけアメリカの「グローバリズム」が広がった社会では、それなりの安全管理の方法をとらなければいけない気がする。それが正しいか間違っているかは別としても、アメリカ的な自己責任をよく知らない(自分も含めた)日本人はやっぱり…どうなんだろう、と考えさせられる作品でした。写真は関係ないけど、よく行く道志みちの滝の看板。

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世捨て豚さま はじめまして。どですかでんは、僕の好きな黒澤明と山本周五郎を結ぶ接点でもあります。両人とも、どんなに落ち込んでいても、元気になれる、そんなエネルギーを与えてくれます。 / どですかでん ( 2003-08-16 04:05 )
はじめまして、お誕生日オメデトウございます。貴殿のHNに誘われて来ました。私も黒澤の「どですかでん」大好きです。人間の負の本能を集めたような映画ですよね。 / 世捨て豚 ( 2003-08-15 00:27 )

2003-05-30 過去のない男

 カウリスマキを初めて見たのは横浜小銀幕。『浮き雲』でした。音楽がデケェ!ということと、小津(安次郎)監督が好きというだけあるなぁ、という感じでした。『浮き雲』は以前にご紹介しました。
 さて、行って来ました、『過去のない男』。今回は厳密に言うと『恵比寿小銀幕』です。恵比寿は今週いっぱいみたいですね。
 CKBの曲が使われてる、って訳ではないけど、CKBのィ横山剣さん(の元ネタの叔父さん)張りに「いいねぇ…」な作品でした。
 夜行の車内。巻きタバコを呑む溶接工の男。終着駅は朝4時。ベンチで眠るうち、DQNに殴られ収容された病院を抜け出し、河原でコンテナで暮らす一家に拾われる。殴られた衝撃で、男は記憶がない。で、炊き出しに来ていた救世軍の中年女性は彼を気になり…という、乱暴に言えばフィンランド版「黄昏流星群」みたいな話?ですか。すいません。
 名前もない。金も(盗られて)ない。あるのは列車の記憶。そして救世軍に紹介された仕事をしコンテナでの生活をするうち、断片的に取り戻されてゆく記憶。そして、口座をつくりに行った銀行で強盗に遭遇、ニュースから男は自分の過去を知る。「男」は、「過去」を取り戻すことによって、新しいモノを得た。新しい生活だ。過去を失うことによって、救世軍の女性と結ばれ、ロックバンド(元救世軍バンド)を離婚やギャンブルという苦い過去をバットの一撃で清算し、新しい人生を得た。
 作品では、まぁハッピーエンドのような形になる。しかしながら、過去が無くなる事は、誰もにとって幸せなのだろうか。少なくとも僕は嫌だ。偉そうかもしれないけれども、これから社会に出て、どんなに嫌なことがあろうとも、僕はその嫌な過去を忘れるということは生き物の生涯でこの上ない損害だと思う。本作では、離婚した男の妻が、名前も名乗らないために拘留されている警察に通報し、男に過去の断片を与える。それは彼女が再婚し、新しい夫との生活を築いたためのことかもしれないが、男にとってはそれは「新しい人生」でのアイデンティティに少なくとも寄与するであろう。子供ならともかく、(たぶん)40年以上培われてきた人生にぽっかり穴が開くということがどれほど悩ましいことであるか。
 「生まれ変わったら何になりたいか」ということは誰でも考えることで、僕も時たま考えるが、それはおそらく今現在(何度目か知らないが)一生の中で、しかもそこで培った経験やらがあるわけで、「生まれ変わり」というのは少なくとも、前世の記憶やら来世への現世の記憶はない(あくまでもあるならの話ですよ)はずで、いくらそんなことを考えても、科学やらを使わずとも生まれ変わりについて考えるなんて結局無駄な訳ではある。その点、男は、ある意味うまい具合に生まれ変わってしまった。この「うまい」ってのも結局は僕の主観でしかない訳ですが。
 で、まあそんなちょっとオカルト的な話は置いといて、輪廻、とまでは言わなくとも、一生ということについて考えて見れば、やっぱり何もかも、大きな「流れ(something great)」の中にあって、それはその途中で殴られたり、居酒屋を出入り禁止になっても、流れは止まらないんだと僕も考えます。
 カウリスマキの作品は、失敗して絶望の中に居る人たちがよく出てくるけれど、それも一生の中の流れ。まぁ気楽にやり直してけばいいんじゃないの、なんて僕は考えています。就活中なので余計に… miles vailla menneisyytta(The man without a past)(2002年フィンランド)
製作・監督・脚本 アキ・カウリスマキ  マルック・ペルトラ カティ・オウティエン

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koedaさま はじめまして。koedaさんもご覧になったんですね!弘兼氏の絵柄でちょっと見てみたい気がしました。 / どですかでん ( 2003-05-30 14:28 )
ワニさま 寂れた感じが伊勢佐木町的で好きなんですヨ。エレベーターは僕は怖いんで階段使ってます。 / どですかでん ( 2003-05-30 14:22 )
「黄昏流星群」に、にやりとしてしまいました。 / koeda@はじめまして ( 2003-05-30 08:07 )
関内アカデミー、改装なんですか。「アメリ」効果でお金が入ったんでしょうか(笑)。エレベーターが止まってもドアが開かないんで焦りました、あのビル。キレイになっちゃうのか〜。さびれた感じもヨカッタんですが。。。 / ワニ ( 2003-05-30 04:01 )

2002-10-03 たまには、日記


 最近、ここも、母体のページも、更新しないので、友人に文句を言われてしまいました。かなり前から言われていたけど。
 閑話不題(二葉亭四迷風に)。
 で、ひまじんにっきは画像がアップロードしやすいので、とりあえず写真を。
 ひと月前、旅行に行きました。盛岡はいい街だ。金があれば盛岡で板橋文夫が見たかった。
 やはり東北は日本酒が旨い。
 でも、全国どこいっても居酒屋にいるオジサンは二階堂飲んでるのが不思議。
 あとデジカメって便利。僕は持っていないけれども。

つっこみ 先頭 表紙

なにゆうてんねん / 辻ゆきや ( 2004-06-11 14:58 )

2002-08-14 ノーマンズ・ランド


 まだシネアミューズとかでやってるようです。話はあまり言うと浜村淳状態になるので気を付けながら書いておきましょう。ボスニアとセルビアの前線の中間地点の塹壕「ノーマンズ・ランド」。残されたボスニア兵と戦友の死体(動かすと地雷が爆発するよう仕掛けられた)、上官(地雷を仕掛けた)を銃殺されたセルビア人新兵。そして、地雷に乗っていた兵士が生きていたのでさぁ大変!国連軍を呼ばなきゃ!で国連軍にマスコミがどやどやついてくる。という話。
 民族問題もあるが、人間は結局「怨」で動くということを感じる。「恩」も「怨」には容易く倒されてしまう。そしてその力は、実際の人間のコントロールが効かない。これは戦争だけではなく、あらゆる人間の生活の中であると思う。だからこそ、チャーチル(だっけ?)の言った「戦争に勝者はいない」と言う言葉は重い。もちろん、これはタダの勝者の驕りとも言える。
 国連軍の任務は、「殺し合いを止める。ただし、武力行使も危険地域への立ち入りもなしで」。紛争解決を武力に頼ってはいけない、というのは、傍観者の言い分だ。ただし念のため述べておくと、武力行使を肯定するのではなく、平和的解決という免罪符を作ることに対して疑問を持っていると言う意味で。それによって武力行使=グローバルスタンダード的な悪=自衛権での武力報復という構図を作ることで自らの武力行使を肯定するということも(無理やり)可能にしてしまうという恐ろしい人間もいる。そういう人に限って「戦争は止めましょう!悲惨だからね」と言う。
 僕はこの言葉はあまり言いたくない。滑稽だから。戦争を知らない人間が戦争をやめようなんてなぜ言えるのか。殺し合いだけが戦争ではない。戦争は武力だけではない。もしそうであったとすれば、ノーマンズ・ランドに友軍の情を利用した対人地雷を置くことはないであろう。また、敵の隙を見て銃を取り合い「我々が戦争を起こしたと言え」などと馬鹿げた強要はしない。撃てば終わるのだから。知り合いの人で戦争を体験した人がいる。復員した遠い親戚が縁者の家を探り当て、「ただいま帰りました」見ず知らずの人にもかかわらず母親は「お帰りなさいませ」と言葉を交わしたそうだ。それは見た人にしか分からないし、復員兵の苦しみを知る人にしか分からない。マス・メディアが発達した今でさえ、人間が作る限りそこには主観が入り込み、またメディアはそれが飽くまでも「ビジネス」なのだということは、良くも悪くもメディアからの情報を受け取る時に決して忘れてはならないことだと思う。昨年のテロをどれだけの日本人が本当に理解していただろうか。僕は北京の安ホテルの食堂で「六角楼(ペンタゴン)」が燃えているのを10分見ただけだったが、その朝の記憶といったら揚げパンで腹を壊したのとLAPDが面白かったことくらいである。そういえば作品中の国連軍の兵士が、憎しみ渦巻くノーマンズ・ランドでウォークマンを聞いていて上官の話を聞いていなかった。
 と、言いたい事を羅列したが、これ系の作品は、ブラックなお笑いかよくBOX東中野とかでやってそうな(個人的には好きなんだけど)類になりがちだが、そこをうまくすり抜けて、両兵士が地元トークで共通の女友達(彼女は難民で国外脱出)について話したり、生活臭を伝えているだけに、戦争が身近に感じる。それは、僕らも紛争にいつ巻き込まれるかわからない、ということの裏返しかもしれない。
NO MAN'S LAND (2001年、フランス=イタリア=ベルギー=イギリス=スロヴェニア共同制作)監督・脚本・音楽:ダニス・タノヴィッチ

先頭 表紙

koedaさま 僕もこのチラシ、観る前はあまり好きではなかったんですが、観てからはこのチラシが作品をよく表していると思いましたね。 / どですかでん ( 2003-05-30 14:35 )
チラシの絵柄、観る前と観たあとではあまりにも感じ方が違います。 / koeda ( 2003-05-30 08:10 )
シネアミューズは渋谷のbunkamuraだったような、、、って返すの遅いって。ごめんなさい。 / どですかでん ( 2002-10-03 02:45 )
すみませんが、シネアミューズってどちらにあるんでしょうか? / フィー子 ( 2002-09-08 12:25 )
>空。さま はじめまして!ありがとうございます。一年近く更新してないにもかかわらずトップに出てて申し訳なくもうれしくもあります。 / どですかでん ( 2002-08-15 00:02 )
お誕生日・:*:・゜'オメデトウ(^-^)ノ~~・:*。・:*:・゜'☆ございます♪ / 空。 ( 2002-08-14 23:54 )

2001-11-28 千と昌夫の金隠し


 引っ越した家に行く途中、迷った先にトンネルはあった。その先は、夕闇が迫ると明かりが灯り、八百万の神々をもてなす街だった。千尋の両親は神々をもてなす食事を食べ、油屋の湯婆婆に豚に変えられてしまった。千尋とどこかで出会ったというハクの言うままに、千尋から名を奪い「千」に変えてしまった湯婆婆の下で両親を人間に戻してもらうべく働く千尋。この先、いったいどうなってしまうのか?(ガチンコ風←僕は一回しか見たことないんですが)
 これはビデオで見ることになると思っていましたが、何とか見ることができました。
 何というか、こう、言葉にならない。でもそれはこれが格別面白いとか思ったわけではない。これは飽くまで僕の個人的な意見だし、決して貶したりする為に言うのではないのだけど、僕は最近の宮崎作品は正直あまり好きではない。教訓めいたものがあって、そういうのはあっても別に気にはならないのだけれど、それがすごくいやらしく見えてしまう。
 あるいは僕が卑屈なのかも。いやな学生だね。
 「千と千尋」は、そういう作品じゃないと思ったけど、そういうエッセンスはかなりあったね。「もののけ姫」ではそれでがっかりしたんですが。
 でも、その他は逆に宮崎駿の良さが溢れてて、ご教訓(昔パルコで「ご教訓カレンダー」てあったなぁ…まだあるのかな?)では終わらない深さを魅せてくれるところがさすがだと思った。
 で、最初に戻るんだけど、なんで言葉にならなかったか。
 言葉にならないから的確なことは言えないんだけど、悲しくなった。
 感動という言葉の空間性を感じた。
 映画を見て、あぁ、よかったね、とか、なんてかわいそうなんだろう、とか、そういう感情とは異なるものに心を動かされたような気がした。
 名前を奪われ、それでもアイデンティティを持ち続けようとする「千」。
 そして、同じく名前を奪われ、アイデンティティを模索しつつ、湯婆婆の右手となって動くハク。
 どこに行くでも、何を話すでもなく、他のものを使ってしか意志が表せない、カオナシ。
 大して毎日に満足するでもなく、ただ毎日を過ごしている油屋で働く人たち。
 自分は誰なのか、とか、何がしたいのか、誰のために生きているのか、そして生きるべきなのか。
 目の前に大きな問題がありでもしない限り、そんなことは考えるだけ野暮ってもんだ。
 だがそこには、自分はそれで本当にいいのか、そんな安易なことで本当に良かったのか、という事も含めて漠然とした不安が心の底にはあるはずだ。
 それを和らげるために、人は酒を飲んだり、やけ食いしてみたり、クソ高いブランド品を身につけてみたり、するのではないか。 
 酔っているので話が大きくなりすぎるのが難点だが、
 歴史は繰り返さない。
 だけど、取り戻すことはできない。
 だから、また同じ事をやろうとして、同じ失敗を繰り返すのではないか。
 偽金をばらまき、他の者を食べて巨大化するカオナシも、そこに群がる油屋の労働者も、また同じ事を繰り返すかもしれない。
 欲深い者(人間)を嫌う者が、実は同じようなことをしていたり、ということはよくあることで、そういうことがない人間というのがいたらまぁ見せ物小屋に持っていきたいくらいで。
 まぁ、この映画が言いたいことは「挨拶はきちんとしよう。」ってゆうことだと思います。

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>アナイスさま 僕は油屋の蛙のまねには自信があります。まぁ若人あきらのまねなんですけど。 / どですかでん ( 2001-12-01 17:44 )
お約束のタイトルなので笑っちゃいました。我が家ではカオナシのモノマネをするのが流行りました。「アウアウ」難しいんだよね〜?? / アナイス ( 2001-12-01 08:25 )

2001-08-17 昭和56年生まれが56年前のことにとやかく言うのは野暮ってもんだけどね。『軍旗はためく下に』

 ちょっと時期的に遅くなってしまいましたが、深作”バトルロワイアル”欣二監督の『仁義』以前の超問題作「軍旗はためく下に」を紹介します。
 ズーズー弁で役所に怒鳴り込む女(左幸子)。軍法会議で銃殺された夫に対し、遺族には金が支払われない。戦死ではないからだ。そして、その会議について、そしてなぜ夫の富樫軍曹が銃殺されたのか、あんなに優しかった夫の面影が消えない妻にはわからない。そして、富樫のいた部隊の同僚を探し、真実を知ることに妻は乗り出した。
 彼女に、戦友たちはさまざまな夫の「真実」を投げかけてくる。上官の不条理極まりない仕打ちに怒り立つ勇敢な夫、飢餓から食料強盗に走った夫、そしてなんと食人まで…。
 郊外の不潔な荒地に一人住む者、戦時中の経験をお笑いのねたにして稼ぐ者、基地の町で軍用機の騒音響く校舎で教壇に立つ者、戦後の「バクダン酒」でメタノールの摂取で失明した者、そして裁かれるべき立場にありながら、戦後を生き延びた好々爺。それぞれの関係者が、富樫像を語るドキュメンタリーチックな場面は、思わず息を呑んでしまう。
 そしてたどり着いた一つの筋。富樫は銃殺される直前、「天皇陛下…!」と叫び、絶命した。それを「万歳!」だったのかと問う妻に対し、戦友の一人は「もっと違う何かを言おうとした様子だった」と言う。
 そして、一度訪ねた盲目のマッサージ師が真実を知っていることを知った妻。しかしときすでに遅し、彼は車に跳ねられ死亡していた。
 この作品は、そういう一つの流れで支えられている。戦友の証言ごとに違った姿を見せる富樫の「イメージ」は生々しく、さすがは深作さん、といわざるを得ない。
 テーマが乱立し、重苦しいだけの作品になってしまいそうなところのあるこの作品だが、それでも深作監督のストレートな気持ちがよく伝わってくる。
 憎き敵を殺すより、官僚、軍部、その冷徹かつ閉鎖的な空間に耐え切れなかった富樫と、そこに少しでも風穴を開けようとした妻。そのある意味では当然の追求が、ぬるま湯に浸かった国民と、そして見ている同じく国民のわれわれにある刺激を与えてくれている気がする。あからさまに嫌な顔をする役人は、「ああ、役所でこういう顔見る!」と思ってしまう。
 実際、富樫軍曹のようなことを働いたものの魂は、靖国には歓迎されないのである。
 なぜなら、そこには「戦後日本を作った」おじいちゃんたちが眠っているのだから。
「軍旗はためく下に」 1972年日本
監督 深作欣二  脚本 新藤兼人 原作 結城昌治 出演 丹波哲郎 左幸子 中村翫右衛門 江原真二郎 夏八木勲 山本耕一

先頭 表紙

>撫子さま それはそれは。同い年だったとは知らなかった。このくらいの年代の人はひまじんでもかなりいるでしょうね。 / どですかでん ( 2001-08-18 23:12 )
え?あたいも昭和56年生まれなの〜! / 撫子@過去の女 ( 2001-08-17 23:58 )

2001-08-16 一個都不能少(あの子を探して)


 最近、シネコンにばかり行っているのでミニシアター系はあまり見てないので、ビデオの紹介になってしまうのが残念。
 中国河北省の小さな村の小学校。カオ先生は母親の看病のために一月休むことに。代用教員として来たのは、若干13歳のミンジ。貧しいこの村では学校へ行かせることもままならない。カオ先生が帰るまでに一人も退学者が出なければボーナスが出ると言われながら、ミンジの教師生活が始まった。
 しかしそこは自然に育まれた悪ガキたちのこと、ミンジは生徒に言うことを聞かせることもできない。
 そんなとき、悪ガキの一人、ホエクーが学校へ来なくなった。ミンジが彼の家へ行ってみると、病気のホエクーの母親がホエクーは出稼ぎに行ったと言う。やめさせてはならない。ホエクー探しの資金集めに、ミンジは生徒を動員して働こうとするもうまくいかず、やっと町へたどり着いても手がかりは無し。さまざまな手段を使ってミンジのホエクー探しが始まったのであった。
 この映画の底流は、飽くまで「お金」何だと思う。だが、そこには少女と少年、そして貧しい村に住む人々の思いが交錯する。
 それは必ずしもダーティーなものに感じない。それは監督のチャン・イーモウの技だと思う。
 そして、お金を貰うためにやって来て、最初は無愛想で無味乾燥な授業を続けていたミンジは、お金という現実的なものを通じ、生徒とふれあい、協力を得て、飽くまでホエクーを探すという目標を貫く。そこには、お金の為の目標でありながら、そのお金の為に苦労が耐えないという皮肉な面もある。また、ホエクーといっしょに町へ出てきたジメイは、自分が稼ぐので精一杯なのにそれを投げ出してまでホエクー探しはしない、一日手伝って欲しいなら一日分の稼ぎの金を出させるというシビアさ。そしてそれは至極当然のことなのである。
 そういう面も見せながら、純粋に「探し」はじめたミンジの、少女的な生き生きした描写が光り、またミンジの言うことを聞かなかった生徒たちも、最初は見ているこちらまで「このガキ共はらたつわあ〜」と思ってしまったが、最後にミンジが「黒板に好きな文字を一人一つ書いて」という場面ではミンジが先生らしく、生徒たちも愛らしく見えて、とてもいい気分で映画館を出られる。
 また、出演が実名で、また、ほとんどの出演者が役柄と同じ職業というのも、見所であり、この作品が評価される所以でしょう。
 まさに娯楽としての映画、ドラマとしての映像・演技を見せ付けられる作品でしょう。
「あの子を探して」 1999年 中国・米国合作
監督 チャン・イーモウ 脚本 シー・シアンション キャスト ウェイ・ミンジ チャン・ホエクー カオ・エンマン (実名出演)

先頭 表紙

>ナライフさま お、劇場でご覧になりましたか。たしかル・シネマでしたね。僕も行きました。『初恋のきた道』もよかった。いずれ書きたいと思います。 / どですかでん ( 2001-08-17 23:07 )
映画館で観ましたけど面白かったです。ミンジのあの目が忘れられないです。チャン・イーモウ、最近気負いもなくなってきて自然体でいいですね。 / ナライフ ( 2001-08-17 00:11 )

2001-08-16 気を取り直して、『17歳のカルテ』


 しばらく更新してなくて、しかも飲んできてなので手元がおぼつかないのをお許しください。
 さて、Jose MangualのBUYUを聞きながらの更新は「17才のカルテ」です。
 タクシーに乗ってある目的地に向かう少女(というには無理があるウィノナ・ライダー)。
 その先は、木々に囲まれたひとつのビルディング。
 そこにはたくさんの少女たちが収容されていた。そう、ここは精神病院。
 少女は「反体制のタバコ」と、ゴロワーズ(多分。僕の従兄弟の楡周平というモノ書きも好んで使う)を吸いまくる。スモーカー、特に葉タバコ好きにはたまらない…。
 この病棟にいる少女たちはそれぞれいろんな人生をおくっている。
 そのなかの「主」てき存在の少女は、たびたび脱走しては大目玉を喰らい帰って来る。
 夜になれば、秘密の地下道を通って、秘密のボウリング上へもいける。
 そんななか、一人の少女が父親に連れられて退院する。
 皆は、病院での生活になれた振りをしながら、それでも羨ましそうに見送る。
 そんな時、脱走の計画が持ち上がった。行く先もなく、退院して父親に部屋を貰ったその少女のところへ行くが…
 とにかく、全体をもって暗く、重いストーリィだ。
 しかし音楽がいい。60〜70年代のポップスが全体を通して流れる。
 退院した少女は夢の中に生き、そしてカレン・カーペンターの歌う「この世の果てまでも(THE END OF THE WORLD)」をレコードでリピートしながら朝日の中で首を吊る。
 しかし、その中に、20世紀中盤の「世界に冠たる、世界の警察たる」アメリカの肖像が浮かび上がる。それは、「理想と現実」のギャップを最もよく現した実例であり、同時にまさに「資本主義社会の光と影」を現したものだと思う。
 それは音楽によく現れている。
 明るい音楽も、退廃的な描写の音楽も、双方が入り乱れているなかに、ウィノナ・ライダーが身をもって訴えたかったものがあると思う。
 ウィノナ・ライダーの彼氏はベトナムへ行く。それは当時のアメリカのあまりにも単純な現実社会の問題を現していると思う。
 そして、彼女自身は、入院当時あれほど忌み嫌っていた、社会への復帰を願う。
 そこには、理想の社会、つまり、「精神病者」とされる、一見すれば自由を求める理想的な社会・そして人間的な生活を求めることへの矛盾と、それを超えた人間的な現実への回帰と妥協があると思う。そしてその、(現代でもトップを走る)資本主義社会アメリカへのオマージュがこめられていると思わざるを得ない。
 とはいえ、そんなに堅く考えないでも、十分楽しめて、考えさせられる作品です。
 名作とはいえなくても、寝られない夜更けに、一人でこっそり見て欲しい作品です。1「17歳のカルテ」
監督 ジェームズ・マンゴールド 原作 スザンナ・ケイセン(これ、実話です) 製作総指揮/主演 ウィノナ・ライダー 

先頭 表紙

>フィー子さま もうやってはいないと思います。ビデオで出ていますよ。やはり17歳っていうのが無理あるな、と。 / どですかでん ( 2001-08-16 18:06 )
今映画館でやっているのですか?ウィノナが17歳?(*_*) / フィー子 ( 2001-08-16 13:30 )

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