「あけましておめでとう」とは言えなくなってしまっった。
天災が起こるたびに、知り合いがいなくても、心は痛む。
思えばTVを処分したのは震災がきっかけだった。
ニュースを見なくなった。
現実世界で起こっていることに、少しうとくなったけど、
大きなことはちゃんと目に入ってくるから、それほど変わりはない。
心を前向きにするために、私には必要なことだった。
でも、現実から目を逸らしているという罪悪感は存在する。
そういうことの最前線に行って、寝る間も惜しんで行動してた時がある。
世界がよくなるような希望があったし、役に立ちたくて、奔走してた。
でも、関係の浅い「知り合い」や仕事関係の人を笑顔にできても、
家族は放置で、全然笑顔に出来ていなかった
人を助けてる場合じゃなくて、本人が幸せじゃなきゃ仕方ないし
自分の周りをまず笑顔にしなきゃいけないんじゃないか
その時期と家族の病が重なったから、最前線からは退いた。
それからひまじんを初めて、小さな幸せを積み重ねることに気づいて、
そういうものに目を向け、そういう経験だけ思い出して、
感謝することが習慣になり
衝突が多い関係からは脱退し、改善不可能な
どうしようもないことは忘れる能力を身につけた。
結果、幸福感は激増した。
が、多幸感は無知の賜物なのか、それは許されるのか、
もっと現実を知らなければ、と、ラジオを聞けば、
やはり押しつぶされる、ニュースに。
押しつぶされるわけにはいかない。だから、またスイッチを切る。
自分の生活に直接影響がないニュースで落ち込んでる場合じゃない。
自分の生活だって満足なレベルに出来ていないのに。
毎日、できることを地味にこつこつやる。
また災害や事故が起きる。
自分なりにできることをするけど、
やっぱりもやっとする。
もう、ずーっと、もやっとしているのかもしれない。
TVを捨てた時から何か他のものも捨てたのかもしれない |