少年の凶悪事件が「死」の経験の欠如から起きているのではないか、と言う話は、以前に書いた。
日本人(って言うか日本人だけじゃないんだけどな)が、文明による生活圏や感覚圏の変容を認識していない
ということが、主にネット周辺のトラブルを招く原因になっているのではないか、と言う話も、
以前に書いた。
もうこれだけ書いたら結論は見えちゃってるんで、ジジイの繰り言みたいだけどさ。
もしかしたらつい20年ぐらい前までの人間は、自分の手が届く範囲の人間の顔だけ見てれば生活できたんだ
と思うんだよね。
いや細かく突き詰めれば違うんだよ? 今あなたが食べてるお米はどこの誰が作ったんですか? とか
言われたら、そんなの普通答えられない。
それがパソコンとインターネットがこれだけ普及した世の中になって、誰でもレコード制作者になれて、
誰でもマスコミになれるようになった。
それ自体は全然悪いことじゃないとは、俺も思っている。現にこの日記だって、ジャーナリストのまねごと
と言ってしまえばそれまでだ。
前々から言ってるとおり、俺の心の師匠はフミ・サイトーだし。
だからね。
何が言いたいかというと、俺たちは本当にそういう社会環境の変化にアダプトしているんだろうか、
って話なんである。
たとえば最初は歩いていた人間が、動物に乗ったり、荷車を使うことを覚えた。
動物と荷車は鉄道や自動車やバイクになり、さらに飛行機やらロケットになった。
パスポートとビザさえあれば、その気になれば明日地球の裏側に行くことだってできる。
スペースシャトルに乗れば、「80日間」どころか、ほんの数時間で地球周回軌道を一回りできる。
電気通信の分野ではもっと顕著だ。枚挙に暇がないので、ここでいちいち取り上げないが。
そういう「文明」がもたらした社会環境の変化を、今の人間は「当たり前」の物事として受け入れている。
なるほど、確かにネットワーク「文明」がもたらした「恩恵」を受け入れることに、
人間はずいぶん慣れたように思う。
しかし、それに付随する「責任」というか、自分の行為が他人に及ぼす「影響」を考えることを、
「恩恵」に浴する人間はしているのか? と言うことを、俺は問いかけたいのだ。
ここまでなら許されるはずだ。
このぐらいならいいだろう。
それらは「どこまで」で、「どのぐらい」なのか。
それが「許され」て、「いい」と言うことを、江角マキコではないが「誰が言ったの?」なのである。
権利侵害はスピード違反とは違う。
現にスピード違反が原因でブレーキングが間に合わず、(相手のケガの度合いはさておき)人をはねてしまった
状態だ。
要するに、感覚圏の不足が、レコード制作者とマスコミを、海賊版工場とそのブローカーにしちゃってる
と言う話である。
目の前にけが人が倒れてるのと、見えない遠くで財産権が傷つけられたのとを同列に考えろと言うのは、
確かに今の人間の「感覚圏」においては不可能なことなのかもしれない。
しかし、「文明」は、俺たちに一つの問いを突きつけているように、俺は思う。
「あなたたちの「感覚」は、本当に「文明」に追いついていますか?」と。 |