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復活! マイケルの「小さなことからコツコツ党宣言」

先ずは自分と周囲の人が幸せになるにはどうすればいいかを考えてみる。

基本的にFacebookに書いたものからエントリーを厳選し、実名やらを編集したり、ひまじんの文字数制限を満たす様に削ったりしてます。Facebookの方に興味がある場合は、コメントなどでお知らせください。でも、後で思いついた小ネタをひまじんの方だけに仕込むこともありますよ。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2013-11-20 「14番目の月」徹底検証
2013-11-19 大島の土石流災害に思う
2013-11-12 人生を変えた一瞬 後半
2013-11-12 人生を変えた一瞬 前半
2013-11-11 今年買って一番後悔したCD
2013-11-10 街の座標
2013-11-09 30の質問の続き 後半
2013-11-09 30の質問の続き 前半
2013-03-31 ひまじんネット同窓会参加者に30の質問 (後)
2013-03-31 ひまじんネット同窓会参加者に30の質問 (前)


2013-11-20 「14番目の月」徹底検証

小学生の頃、「大関」というお酒のCMのナレーションにこんなのがあった。

「横綱は 強いようでも どんづまり 私がかうなら のびる大関」

子供の頃からツッコミ魂を炸裂させていた僕に言わせると、「角番大関の貴ノ花より、大横綱・北の湖の方が良いに決まってる!」となる。
地元北海道出身だったし、無愛想な顔で出ていたどう見てもネガキャンにしか見えなかった(笑)ローカルの旅館のCMもあって、子供時代のヒーローだ。

結論: 所詮、伸びない大関はただの大関だ。(どこかで聞いたような…)

===

こんなメンタリティを持つ僕が、荒井由実の名曲「14番目の月」にツッコミをいれて見る。問題はサビの部分の歌詞である。

♩次の夜から欠ける満月より、14番目の月が一番好き

でも待て、それならこういう理屈もあるのでは?

♩次の次の夜から欠ける14番目の月より、13番目の月が一番好き

よし、これを法則化してみよう。数式で表すとこうなるはずだ。

♩ n日後の夜から欠ける(16-n)番目の月より、(15-n)番目の月が一番好き
(ただし、nは1から15までの整数。)


…ここまで考えてふと大切なことに気づいた。

満月が美しいことは確かだが、欠けてゆく月だって充分に趣きがある。
月は欠け、そしてまた満ちる。そのプロセスというか自然の営みそのものが素晴らしい。何番目の月が好きかは個人の嗜好だが、満月をピークと考えるその発想そのものを疑うべきではないか。

ユーミンにはその視点が欠けている。
更にそれに乗っかって、そんなのを数式化しようとした俺も馬鹿だった。

結論: 自然の摂理は美しい、そしてみんなちがって みんないい (これもどこかで…)

つっこみ 先頭 表紙

O1REo8 / Mark ( 2016-05-12 02:34 )
DOI66 / Bradley ( 2015-10-27 02:48 )
uvye5 / Bradley ( 2015-08-13 04:42 )
麦さん、ありがとうございます。 本記事は僕の歴代アホ日記の中でも、かなりのケッサクと自負してますが、そこにこんな素敵なツッコミ、ありがとうございます。 実は今回歌詞をちゃんと見るまで、ピークを越えて別れに向かってゆくシチュエーションだと勝手に思っていたのですが、実は付き合うまで至ってない状況での高揚感の歌だったんです。だから「徹底検証」は看板に偽りあり、です。 / マイケル ( 2013-11-21 23:09 )
わかります〜!満ちて行く月は確かに解りやすく素敵だけれど、下弦の月が人目につかない真夜中の秘密を司る感じが好きです。 / 麦 ( 2013-11-20 14:43 )
来ない恋人を朝まで待ち続け、涙ながらに恋歌を詠んだ平安の歌人達が仰ぎ、彼女たちを朝まで見守ったのは欠けて行く月なんですよね。 / 麦 ( 2013-11-20 14:36 )

2013-11-19 大島の土石流災害に思う

日曜の朝刊にあった記事を見て、あれから一月か…と思った。
丁度その時、旅行中だった僕ら夫婦は、「今回は天気に恵まれて良かったねぇ」なんて話をしながら、リモコンで点けたTVに映し出されたニュースにショックを受けた。

===

「コンクリートから人へ」笑

民主党の政策を揶揄する時に、用いられる言葉である。
今回はこれをかなーり、拡大解釈した持論を展開したい。
(別に民主党を支持してる訳ではありません)

今回の土石流は事前の土木工事と言ったハードで防ぐことは可能であったのだろうか?
むしろ必要なのはハザードマップや避難計画、そしてそれの遂行と言ったソフトの部分であったと思う。

仮に今回発生したのが台風による土石流ではなく、地震による津波であったなら、真夜中でも避難勧告を出したであろう。

===

マイアミ赴任時代に、強烈なハリケーンが近づいてくるという警報があった。
ピーカンなのに、会社は午後から閉鎖になり、スーパーやホームセンターに向かう車の渋滞が出来ていた。

海沿いのコンドミニアムに住んでいた僕はまさに避難対象者だったので、他の日本人赴任者のお宅にお世話になった。

果たしてハリケーンはコースを外れ、次の日も快晴。
ハリケーンが直撃することを想定し、オフィスは閉鎖されていたので、そのご夫婦と音楽談義(趣味が結構被っていた)したり、お子さんと遊んだり、一人暮らしでは味わえない美味しいご飯をご馳走になった。

この位で充分なのではないか? 何も起きなければ、それで良し。
今回、大島の災害での死者35名と行方不明者4名のことを思うと、やりきれない思いになる。

===

話は唐突に変わる。

日本で行われている避難訓練である。
日時が決められていて、その間は来客を断り、打ち合わせも設定されない。
雨天なら順延される。
911でWTCが崩壊した後に行われた避難訓練時に全く緊張感がなかったことは今でも覚えてる。

311を経験した後では、状況が変わった。
当日、建物内の安全が確認できるまで外で待機しなければならなかったのに、勝手に職場に物を取りに行った人がいて、皆に非難された。

翌年からは訓練の概要を事前確認する時に、点呼や状況報告などの伝達に対し、誰がどこまでやるのか、担当が急病で休んだ場合にはどうするのかを、皆で真剣に議論するようになった。

===

去年の避難訓練での僕の役割は、火事の現場を目撃し、大声で皆に知らせる係だった。ところがダンドリを間違えて、予定よりも早く叫んでしまった。
若干、混乱が生じ、後の反省会でも軽く指摘された。

もちろん僕のミスである。それはしっかり謝罪した。でも想定通りに進まないのが災害なんじゃないかと、ココロの中で舌を出している僕なのであった。

===

小学生の頃、一度抜き打ちの避難訓練があった。
非常ベルがなって、廊下に出るとモクモク煙が出ている。
今思えば単なる発煙筒なのだが、それでも小学生の僕らがパニックを起こすには充分だった。

体育館に避難した後の校長先生の総括が手厳しかった。
「今日のような逃げ方なら、何人かは死んでます。」

大人にこそガチな避難訓練は必要だ。
生温い訓練で、いざという時に、自分の、お客様の、家族の(ペット含む)命を護れるのか?

台風と大地震が同時に起きないと誰が言える。

つっこみ 先頭 表紙

2013-11-12 人生を変えた一瞬 後半

クラスは最悪でしたが、卓球部は楽しかったです。
先入観なしで、僕のことを受け入れてくれました。下手クソだったけど、無心でラリーを繰り返すのはいい気分転換になりました。部活の友人経由で他のクラスの友達もできました。

そんな部活でも事件が起きます。どうしてもウマがあわない同期の部員と口論になり、売り言葉に買い言葉からつかみ合いの喧嘩になりました。そんなことは最初で最後です。その時、僕は彼を倒し、腹に2・3度蹴りを言われました。周りの誰かが、僕を静止し、言いました。「喧嘩にもルールがあるぞ、腹は止めろ!」

ルール? じゃ、今までのお前らの俺に対する精神的な攻撃はルールの範囲?

どうやら危険人物というレッテルが貼られた様で、一部の友人以外からは完全に無視されました。でも、勉強に専念できると却って清々しました。部活の一期下には僕と価値観が似ていて、しかも僕の喧嘩相手を嫌ってる連中がいたので、そいつらからは熱烈に支持されたのも嬉しかったです。

上の事件とどっちが先か忘れましたが、こんなこともありました。
自習時間に教科書を黙々読んでいた僕の頭を後ろから「パコーン」と上履きで叩く奴がいました。振り返って睨みつけた後、教科書に目を戻すと、「パコーン」。4・5回続いた頃に、ある正義感の強い女子が「やめて!」と叫んだことで事態は収束しました。

当時はこういうことを先生にチクるという選択肢はありませんでした。
もう一つ、「キレる」という選択肢も想像すらしませんでした。
今でも時々思います。あの時、椅子ぶん投げてたらどうなったんだろう。素手で立ち向かって仮にボコボコにされたとして、先生はどっちの言い分を聞くだろう。あの頃、尾崎豊を聴いてたら夜の校舎の窓ガラス、壊して回ってたかも知れません。(彼のデビューは僕の高校入学後です。)

これまでに起こったことが一気に反転することが起きます。
3年生の球技大会(2年から3年は、クラス替えはありません)で9人制バレーボールがありました。僕は運動音痴なので誰にも期待されてません。

ただ僕の下から繰り出す天井サーブはネットすれすれの一番取りにくい場所にピンポイントで落ちました。7ポイント連続でサービスエースです。決まった際には、卓球部伝統の気合を入れました。(愛ちゃんの「サー!」みたいな感じです) そんなこともあり、うちのクラスは優勝しました。

「Tは変わった、あれは嬉しかった。」と言われました。

全然判ってません。僕は神に誓って何も変えてないのです。クラスのヒーローになり、その後は普通にクラスの一員として認められる様になりました。頑固で、理屈ぽい性格も僕のユニークさとして認めてくれたようです。でも、本当に僕は何も変えてないのです。球技大会で活躍しただけです。もし活躍してなかったら?

釈然としないまま、ずっと待ち続けた卒業を迎えました。

===

あくまで僕の主観です。僕側にも問題はあったかも知れません。

最後に世の中のイジメに悩んでいる子供達へメッセージです。

先生や親にチクればいいよ。きっと何とかしてくれる。
学校なんて休んだっていいし、転校しても構わない。
それに学校だけが世界じゃない。今はネットで自分の価値観に近い人と繋がることもできる。リアルでもバーチャルでも色んなコミュニティに属してそこで楽しみを見いだせば良い。
イジメてる人間はどうせ中途半端なヤツらばかり。そんなのに真剣に向き合って神経すり減らす位なら、そいつらのいない未開の荒野目指そうぜ。

つっこみ 先頭 表紙

2013-11-12 人生を変えた一瞬 前半

そんなものがあるとしたら、間違いなくあの時でした。
前の記事に書いた暗黒時代のことを書きます。

中学2年の時に、親の転勤に伴い、両親の故郷でもある、旭川の中学に転校しました。

それまでの僕は今だったら、「ハイパーアクティブ」とかに分類される様な、活発かつ落ち着きのない子供でした。転校も小学校で3回経験してましたし、慣れていたはずでした。

でも、転校して最初の挨拶の時に、僕に注がれるクラス全員の視線に、頭が真っ白になり、まともな自己紹介ができませんでした。その時のことは今でも夢に出ます。「視線恐怖症」とでも言うのでしょうか。今でも大勢の人の前で喋る時は、内容を事前に準備して緊張感を和らげる様にしてますが、視線は定まらないままです。

僕の代わりに担任の先生がフォローしてくれました。
「Tくんは前の中学で学年トップにもなったことがあるらしいぞ。お前らも負けるなよ。」
最悪です、一気に皆の反感を買いました。

「学級新聞とかもやってたらしいぞ、K(クラスの新聞係)、未だ今年一回も出してないんだから、今回のことで新聞作ったらどうだ?」

学級新聞ができるまでは数日かかりました。
僕が転校して来た翌日に、別の転校生が隣のクラスに来ました。掛け値なしの美少女でした。

「お前と順番逆だったら良かったのに」
中学生ってこういう残酷なことを平気で言います。
出来上がった学級新聞にはこういう記載がありました。「Tくんは早速クラスに打ち解け、すっかり皆の人気者」、クラス中に失笑が走りました。

「お前のせいで誰かが東高(地域で一番の進学校)に行けなくなるかもしれないぞ」という意味不明なことを言われました。誰かが東高から北高に志望変更し、そして誰かが西高に変更。玉突き的に自分が南高を落ちるかもしれない…という理屈だそうです。そんな思考じゃ南高も無理だろ。

僕はそのクラスで2番目位の成績でした。僕のせいで3番目になった女の子の僕に対する対抗心は尋常ではありませんでした。社会の小テストをした時に、隣の席同士でお互いの回答の採点をするのですが「新潟」という字を間違えた時に、親の仇でも取る様にバッテンを幾つも重ねて来ました。ちっちゃい人間です。

社会の先生が、ある日の授業でこう言いました。
「関東より北では、旭川は札幌、仙台の次に人口が多いです」

僕は早速異議を唱えました。「旭川より新潟(なぜここでも-笑)の方が人口は多いと思います。」皆のアイドルである先生に恥をかかせたとバッシングされました。「そんなのどっちだって良いんだよ!」って。
ちゃんと副読本に書いてあることを述べただけです。それに何の問題が?

学年集会で、各クラスの代表が簡単なスピーチをする、という行事があった時、当初の代表だったクラス一の人気者が仮病で休みました。絶対イヤです、できません!という僕の抵抗を無視し、担任は僕を代役に指名しました。

本番で、目を泳がせながらこう話しました。

「今日は本当はI君がスピーチをするはずでしたが、お休みになりました。いきなり指名されましたが何も準備してませんでしたので、話すことはありません。これで終わります。」

皆にクラスの恥だと言われましたが、スッキリしました。
「じゃ、お前がやれば?」なんて返しは思いつきませんでしたが。
仮病で休んだ人からは一言もフォローはありませんでした。

つっこみ 先頭 表紙

2013-11-11 今年買って一番後悔したCD

それはさだまさしのデビュー40周年オールタイムベスト、「天晴」です。
こんなダイジェストじゃなく、もう一度全部買い直さなきゃ!

そんな訳で僕の中の神的アーティスト7人について小出しに書きます。

さださんとの出会いは、ドラマの主題歌に使われてた「天までとどけ」。
イントロの透明感に魅了され、あのハイトーンボイス、歌詞もロマンチックで、渡辺俊之さんのアレンジも素晴らしかったです。

そして「関白宣言」です。

これを聴いた時に、独特のユーモアと最後のメッセージまでの展開に魅了されました。世間では歌詩を巡って、様々な議論が起きました。やれ男尊女卑だ、女性差別だと。ちゃんと最後まで聴けばそうじゃないのは小6の僕でも理解できるのに。

この頃、お年玉で生涯で最初のLP「夢供養」(傑作!)を買います。音楽評論家・富澤一誠さんの書いた、さださんの半生を記したドキュメンタリー本も買いました。その中で彼が大学時代、落研にいたことを知ります。

あぁ、さださんの歌は落語なんだ! 丁度この時期(半年くらいの間)落語に嵌ってた僕は思ったのです。「まんじゅうこわい」の落ちを聞かないで席を立つやつはバカだ。世の中バカばかりだ!(調子に乗り過ぎました)

それからはずっとさださんのみ、聴いてました。新作は漏れなく、過去の作品まで遡り…

中学の頃はアイドル全盛期です。周りは横浜銀蠅とかにも夢中になってました。
でも修学旅行のバスの中でマイクが回ってきて順番に歌う時も、頑なにさださんの歌しか歌いませんでした。「ネクラ」だと言われ続けました。心の中では「表面的な部分だけみて、本質に気づかないお前ら全員バカ」と毒づいてましたけど。

その中学に通っていた時は、ほかにも色々あって、僕にとって暗黒時代です。未だに帰省した際、中学の近くを通ると心拍数が上がります。でも、親の仕事の都合で転校が多かった僕は、環境が変わればスイッチなんて簡単に切り替わることを知ってたので、必死に耐えました。

そんな時期を支えてくれた、さださんの楽曲。神以外の何物でもありません。

聴かなくなったきっかけは、高校受験の頃、さださんが結婚して、何ヶ月かの休養を取られ、毎週楽しみにしていたラジオもお休みされたことです。

そして入学した高校はバンカラな雰囲気を残す自由な学校で、それまでの息苦しさから解放され、友人の影響で色んな音楽を聴くようになりました。結果としてさださんとの間に距離ができてしまいました。アルバム「夢の轍」以降はフォローしてません。

未だに果たせていないことがあります。
さださんは前人未到の4,000回を超えるコンサートをしています。しかし、僕はコンサートに行ったことはただの一度もありません。割と近くの街に来たことがあったのですが、親の許可が出ませんでした。

今はファンクラブの会員が25,000人いて、チケット争奪戦は、それはそれは熾烈なのだそうです。でもいつか本当に見る日が来るまでは死ねません。そう勝手に思ってます。

===

動画は東大寺の昭和大改修の落慶法要で行ったコンサートの模様です。
この歌は彼の母が戦時中に住んでいた漢口(武漢)の思い出にインスパイアされて書いた曲です。MCも面白いので、お時間のある方は是非見てください。

この頃、彼は後に莫大な借金を抱える理由となる「長江」という映画の撮影のために、頻繁に中国を訪れます。当時も今も中国は難しい国です。でも、中国と言うだけで脊髄反射的に嫌悪感を示す人間には僕は絶対なりたくありません。これもさださんから学んだことです。

http://youtu.be/rxbm-eh0G5c

つっこみ 先頭 表紙

2013-11-10 街の座標

YouTubeとWikipediaさえあればいくらでも時間を潰せる僕。
ある日自分の卒業した高校をwikiで調べて、その中にある出身者(いわゆる有名人)のところをみて驚いた。

放送部時代の1年後輩の女性が小説家、として載っていたからだ。
彼女は夢を適えたんだな、スゴイな、と感心した。

新入生の頃から異彩を放っていた彼女。
生徒会主催の「クラブ説明会」より前に、部室にやってきて、「入部させてください!」と乗り込んできた彼女。うちの高校は服装は自由だったのだが、モノトーンを基調とする服装、ウエストあたりまで伸びたストレートの黒髪、古今東西のロックに精通していて、アナウンス技術も申し分ない。物凄いオーラを発しながらも、決して近寄り難いという様なこともない性格。更に、放送部と並行して、ロック批評のミニコミ誌を作る同好会を立ち上げたり…「先輩も書きます?」なんて言われたけど、当時子供の作文レベルの文章しかかけなかったので、辞退しましたが。

自分は早稲田に推薦で入って、作家になるんだと言ってました。
当時もう一人、早稲田への推薦を狙っている男がいて、この二人の間の冗談めいたやり取りも微笑ましかった。(あんた、早稲田似合わないわよ、筑波にしなさいよ! とか)

こいつも可愛がっていた後輩なので、僕は中立を保って、「お前ら二人とも受験すればいいだろ!」なんて言ってました。でも推薦枠を得たのは彼女の方でした。

更に彼女の作家としてのプロフィールを見てみると、すばる文学賞を受賞し、芥川賞候補にも2回なっている。

とりあえず一冊読もうと思ったのですが、文体というかスタイルが全然あわず、読むのが苦痛になって途中で投げ出してしまった。

Webでのインタビュー記事を読むと、過去の作家(谷崎とか)書いたことの再検証を行っているのだ、というようなことを言ってました。逆にいくつかのレビューからは、そういういかにもお勉強してます、みたいなところが鼻に付く、ともあった。芥川賞選考会のコメントも芳しくは無かったです。

最近は新刊も出てないみたいだしなぁ、これだけのキャリアがあっても、世間的には認知されてるとは言い難いよな…ちゃんと食えてるのかな?なんて、上から目線で余計な心配したり。

最近ちょっと時間的に余裕ができたので、もう一回ちゃんと読んだ上で、何かコンタクトをとってみようかな? と思った。こっちのこと覚えてるかどうか判らないけどね。

そしてまたWebで彼女のことを検索して、驚いた。
言葉を失った。

Wikipediaの彼女の経歴に次の一行が追加されていた。

===

2013年10月10日死去。45歳没。

今更ですが、小説家・清水博子さんのご冥福をお祈りします。

あの時、ちゃんと読み切った上で「読んだけど難しくてよく判らなかったよ。」と、メールでも出せば良かったと後悔してます。

先頭 表紙

2013-11-09 30の質問の続き 後半

そして最近の主戦場は専らFacebookです。きっかけは東日本大震災です。実名で繋がるところ、何時の間にかいなくなることが少ないのが魅力的です。

Facebookをはじめ、ネット上の書き込みに関する僕のスタンスです。
単純に「いいね!」だけは押しません。いいと思った理由をコメントに残します。
誰かのコメント欄が一方向に流れている時は、「でも、それってこういう解釈もできない?」と流れに逆らうコメントを残すことも多いです。その時にネタに走り過ぎて反感を買うことも少なからずありました。

でも僕にとっては自分らしさを発揮することが重要です。
ひまじんのツッコミに関して、「マイケルさんのツッコミのユニークさが好き」と言われたのは、ネット人生最大の褒め言葉でした。

Facebookでは単純に今ココにいるよ、とかこんなもの食べたよ、という写真と一言コメントだけの投稿もしてます。

でも例えば、好きな音楽について語る時に、単にYouTubeのリンクだけ貼って、「コレおすすめ」とかできない性分です。Twitterは専ら読むだけです。
こんな鬱陶しいやつですが、その文章に反応してコメントくれる人と末永く付き合って行きたいな、と思ってます。

あと、最後に。

最近の自分の何かを伝えたい! という欲求は、妻に話すことで殆ど解消できてました。そうはいっても、彼女の守備範囲から外れる話は明らかに詰まらなそうな顔になってますけどね。

そういう話はFacebookに書くことにしてます。まれにコメントがくることもあるので、楽しんでます。

あと、ひまじんにもそろそろ復活しようかな、と思います。
今でもコンスタントに書き続けているライターさんがいます。住んでいる場所も環境も全然異なるし、それゆえその方の最近のエントリーに関してはチンプンカンプンです。

でも以前からのその方のファンなので、本当は交換日記でもしたいところですが、それだと負担になるだろうから、文字数制限に収まる範囲で、文章をまとめるよう、頑張ってみようと思います。

先頭 表紙

2013-11-09 30の質問の続き 前半

30の質問で未回答なところがあったので、今更ながら追記です。
ちょっと質問の主旨から外れることも書きますが、許してね。

僕のネットデビューはNifty-Serveでした。
フォーラム、と言われる掲示板での情報のやりとりが活発に行われていて、Macや音楽、演劇、映画、ミュージカル、ラグビーなんかを覗いてました。音楽系では話の合う人たちとオフ会をしたことがあります。
でもそういう気の合う方々が、あまり書き込まなくなり、更に自分も仕事でアメリカ赴任になったので、Niftyは退会しました。

アメリカ赴任中は自分でHPを立ち上げようとしてました。htmlについて書かれた本を読んだり、カッコいいなぁと思ったページのデザインをパクったり。でもどうしても自分が思うようなページには仕上がらず、外見と中身のどっちが大切なんだ? という本質的なところに行き着きます。おまけに誰が読んでるか、判らんものにこんなに時間かけて…

そんな時に友人の紹介でひまじんネットに出会います。
文章を書いて写真とともにアップすれば、それなりの表示ができる。
レイアウトやhtmlの知識も不要、という敷居の低さが嬉しかったです。その頃、誕生日を知らせる機能や、ツッコミというスバラシイ機能が加わり、メンバー間の交流が盛んになりました。
当時はメンバーも少なく、新しく加わった人の日記は必ず見に行ったし、自分の興味がないことでもまずは読んでみる、なんて、今じゃ信じられないようなことを日々行ってました。いわゆる「ひま中」です。

先日自分の過去の日記を読んで見たんですが、自分でいうのも変ですが、面白かったです。勢いだけだったり、何かの本の記載を纏めただけの書き込みも、今じゃ書けないなぁ、若くて体力も情熱もあったんだろうなぁ、と感心しましたね。しかも、それぞれの書き込みにいっぱいツッコミが来て、それが次の書き込みへの原動力になってました。

自分のネット人生の一つのピークだと思います。

でも、次第に初期からお付き合いのあった力のあるライターさんが、事情は判りませんが、次々と退会されました。
ツッコミも殆ど入らなくなり、書くモチベーションが著しく低下しました。

そんな頃、mixiへの招待を戴き、そちらで書くことにしました。
マイミクと呼ばれる人との交流が基本です。でも僕は更にかつてNiftyで経験した、同じ趣味を持つ人たちとの交流に期待しました。
一人のアーティストに対してコミュニティが乱立してたり、もしくはなかったり。Niftyにはそれなりにあった秩序がありませんでした。自分でコミュニティを作るほどの余裕も無かったので途方にくれました。
さらにmixiはコミュニティよりもつぶやきに力を入れ始め、コミュニティへのアクセスが深い階層に移動。もう、mixiやる理由も特にない、ということにした。

結婚した後、野良猫を保護したことを契機に、色んな猫ブログを見て、それに感化され、gooブログで猫専用ブログを書いてます。が、こちらも中断中。単に怠慢なだけです。嫁には冗談で、「うちの世界一可愛い猫たちのことを発信して、ブログ本で一稼ぎすれば?」と言われますが、本になる様なブログのクオリティの高さにひれ伏してる僕は、「そのうちね」とお茶を濁してます。猫との生活は楽しく、日々愉快なことの繰り返しですが、昨日まで楽しんでいた遊びをいきなりしなくなったり、ということが日常茶飯事なので、マメな記録を残しておかなかったのは悔やまれます。

ここまで読んで皆さんお気づきだと思いますが、僕の文章は長いです。でももう少しお付き合いください。

先頭 表紙

2013-03-31 ひまじんネット同窓会参加者に30の質問 (後)

では続きを...


Q16.ひまじんネットにまつわる一番良かったエピソードを教えて下さい。

ひまじんライターの女性とお付き合いしてました。(時効)

Q17.ひまじん日記のココが最高だったよなー、ってポイントを教えて下さい。

突っ込み機能ですかね。
他の人と違う角度から突っ込むことに命を懸けてました。
そしてTAKEさんがその意図に気づいてくれたのがうれしかったです。

Q18.ひまじん日記のアレが今ひとつで離れちゃったんだよなー、ってポイントを教えて下さい。

自分の好きなライターさんが離れたりあまり書かなくなって、突っ込むことも突っ込まれることもなくなったこと。

Q19.印象的だったひまじん日記を、あえて1つだけ教えて下さい。(可能ならURLも)

初期のあややさんの「まいにちいきてる」の4コマ漫画。

Q20.ひまじん稼働時にひまじんメンバーでオフ会しましたか?

フットサルの幹事を何度か。
こじんまりとした映画OFFとか、改装前の歌舞伎に当時の勘九郎見に行ったりもしました。

Q21.イエスの方はそのオフ会で忘れがたい印象のことはありましたか?

フットサルの後のスペイン料理の宴会の会計が大変だったこと。(みんなワイン飲みすぎ!)

Q22.いま、是非お会いしたいメンバーは?

一度もお会いしたことないのになぜか毎年年賀状のやり取りをしているトモコさんには、
いつかギターで映画「ディア・ハンター」のテーマ曲の弾き方を教わることになってます。

Q23.自分をどんな性格だと思いますか?

頑固で理屈っぽい。ツッコミの隙を常に伺っている。

Q24.「自分はこれなら熱く語れる!」というものを教えてください。

キリンジ(バンド)の素晴らしさ。
うちの猫のかわいさについて。
うちの嫁の鬼嫁ぶりについて。

Q25.幸せって何だっけ? 何だっけ?

何気ない一日の積み重ね。
特に震災後は強くそう思ってます。

Q26.今欲しいものは何ですか?

自分の考えをサッとまとめてブログにアップする能力。
ついつい情報盛りだくさんにしがちで時間がかかるし続かない。


Q27.人生最後の食事を選べるとしたら、何を食べますか?

家で家族と普通の食事。
誰と食べるかに比べれば何を食べるかはそんなに重要じゃない。

Q28.あなたにとって「ひまじんネット」とは何でしょう?

大事な故郷なんだけど、シャッター商店街みたいになっているのが切ない。

Q29.ひまじんネット管理組合の皆さんにメッセージをお願いします。

いつもありがとうございます。


Q30.これで最後の質問です。お疲れ様でした! 30問答えた感想をどうぞ♪

やっぱり時間がかかってしまいました。
Q6/Q7もそのうち...

先頭 表紙

KATSUMIさん! あの時は飲んでない人にもかなりの負担を強いてしまいました… 今思えば、KATSUMIさんやパンさんから三萬円くらいもらうべきだったのでは?と思ってます。 笑 / マイケル ( 2013-11-10 08:59 )
ご無沙汰です。あの時は飲みましたねぇ…(笑)。またフットサルしましょうか。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2013-07-04 12:25 )
fukuさんこちらではお久しぶりです。もう6年くらいやってませんね...今だったらかなり体力的に厳しいかも、です。 / マイケル ( 2013-04-04 08:16 )
トモコさん! こちらも楽しみにしています! / マイケル ( 2013-04-04 08:15 )
パンドラさん久しぶりです。1月に藤沢市民マラソン10マイル、1時間45分の制限時間ギリギリで何とか完走しました! でもその後忙しくて全然走ってません。 / マイケル ( 2013-04-04 08:14 )
フットサルやりましたねー。なつかしい。 / jyaco(fuku) ( 2013-04-03 17:57 )
約束、忘れてませんよー。いつか実現しますように! / トモコ ( 2013-04-01 23:59 )
お久しぶりです!奥さまもお元気そうで何よりです。Q21、とうちゃんとの話で未だに出たりします(笑) ところで、マラソンまだ走ってますか? / パンドラ ( 2013-03-31 18:30 )

2013-03-31 ひまじんネット同窓会参加者に30の質問 (前)

Q1.HN、日記のタイトルを教えてください。
マイケルです。今のメインは「小さなことからコツコツ党宣言」

Q2.ひまじん内にIDいくつ持っていますか?
4つありました。

Q3.そのうち稼働しているのは、いくつですか?
1つが稼働しているといえるかどうか...

Q4.今、ひまーク何個つけてますか?
数えたら79もあってびっくりしました。
アクティブな人は少なくて、2013年に入ってから更新されていたのは11個だけでした。
ちなみに残っている一番古いひマークは、「噛みつかない犬の遠吠え」(2001-06-28)でした。
懐かしい。


Q5.自分のパスワードを忘れてログインできなくなった経験ありますか?

ないです。

Q6.現在のひまじんネットとの距離感は? 昔と変わらず継続中? 浮気中? 移転しました? そのほか?
Q7.今もどこかで日記を書いてますか?(差支えがなければURLを教えて下さい。SNSなどの連絡先も良かったらぜひ)

これに関しては長くなるので別エントリーで書こうと思います。

Q8.ひまじんネットに書き始めた頃と、今現在ご自身の中での一番の変化は何でしょう?

結婚した。子供はいないけど猫が3匹います。
あと体型も性格も若干丸くなったと思います。

Q9.逆に、「ここは変わってないな」と思うことは何でしょう?

髪型(20年くらい変わってないかも。)

Q10.ひまじん書いていた頃から住んでいるところ同じですか?

海外赴任→帰任して神奈川で賃貸→神奈川で10年前にマンション購入

Q11.いくつ(何歳)になりましたか?

45歳。精神的にはようやく30歳くらい。

Q12.家族構成など変わりましたか?

6年前に結婚しました。

Q13.ここ10年(5年でも1年でも良し)で一番嬉しかったことは?

10年なら今の嫁と出会って結婚したこと。
5年なら飼い猫が明らかに嫁よりも俺になついていること。
この1年なら同じ職場の使えないバカ(年上、天敵)が配置転換でいなくなったこと。

Q14.(上記年数で)一番悲しかったことは?

会社のマネジメント層に自分がいた部署をぐちゃぐちゃにさせられたこと。

Q15.10年前の自分に一言!

方向は間違ってないから今の道を行け。
でも勢いだけじゃだめだからしっかり作戦考えておけ。

長くなったので後半に続く...

先頭 表紙

僕の場合、噛み犬さんの次に、ほにゃららさん、美奈子さん、こっこさん、かおりんさん…と続きます。 / マイケル ( 2013-11-10 09:02 )
私の最古ひまーくは、ガルシアパー太の「BOSOX日記」2001-11-13 18:24, その次が、偉大なるほにゃらら先生だわ。 / あやや ( 2013-04-04 10:05 )
別エントリは...週末頃になるかもしれません... / マイケル ( 2013-04-04 08:13 )
私も一番古いひまークは「噛みつかない犬の……」です。噛みつかない犬さん、突然やめちゃいましたよね。  別エントリも楽しみにしてます! / みなみ ( 2013-04-01 19:43 )

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