日中は暑い日が続いていますが、ここ高原の地ではすでに朝夕は涼しい風が吹いております。
お盆中はなんだかんだとしているうちに終わってしまいました。
14日に夫の実家に行ってきたのですが、
入所中の義母の会って来ました。
認知症は進んではいますが会話に違和感はありません。
義母はしっかり者で在宅中は義姉は苦労しました。
あの頃、他人の粗が目について仕方なかったようですが
ここにいる義母はイイ感じで角が取れてとても幸せそうです。
今は私たちとも笑顔で会話します。
息子は義母が苦手です。
物心つく前から一挙手一投足に「指導」のお言葉がくる。
孫に対しても容赦はありませんでしたから
敬遠する気持ちも分かります。
そんな母の元で育ちながら、何故、夫があれだけマイペースでわがままでいられるのか
その方が不思議です。
義母の父が商売で大きくなり
その恩恵で裕福に暮らしたようです。
戦争時に物が無くて大変な生活もあったようですが
食べられないほどの苦労は無かったようです。
6月に亡くなった叔母は昭和の初め頃でありながら
女学校時代テニスを楽しみ仙台の学校に通い
華やかだったことは間違いありません。
義母はその姉とは違い、
地元にいておとなしくしていたらしいのですが
隆盛を馳せた一族として暮らしたことでしょう。
教師である義父と結婚し地味に苦労して
3人の子供を育てましたが
話しを聞くと義父(なぜか婿養子)の苦労が想像できます。
その長男の嫁として嫁いだ義姉は
隣町ののどかな生活とのギャップはいかほどの物だったか
想像だにできません。
一昔前のドラマで見る「嫁いびり」みたいなことが
日常にあったようです。
私が嫁いだときには
隆盛はだいぶおさまっていましたし、(街全体が衰勢に向かっていたので)
離れて暮らしていましたから
泣くくらいの意地悪は記憶にありません。
何しろ、分からないときは聞き
出来ないときは出来ないと言い
遠慮無く食べる、
ある意味、天然な変な嫁でしたから
向こうの方が扱いに困ったに違いありません。
理不尽だと思いながらも
たまの義母や義姉のトゲのある会話は
とりあえずのユーモアや笑顔でやり過ごして来たのです。
私に対する物なんて義姉が受けてきた物に比べたら
ないに等しい物だったでしょうから。
その義姉も義母が入所してから
変わりました。
柔らかくなったと言いますか。
前にも書いたかしれませんが
私と夫は9学年離れています。ですから
偉そうに言うことが多々ありました。
私や後輩へのその横柄な態度に
一度キレまして
「他人を粗を見つけては上げ連ねて、バカにしても、
あなたが立派な人間になった訳じゃないのよ。」って
言う強気の嫁でございました。
あとで気がつきましたが本人は
まるっきり悪気が無いようです。
悪口は冗談の延長上にあるものと考えいるようです。
長くなりましたが秋はもうすぐそこです。 |